2011年3月22日火曜日

被災地で無人のスーパーから洗剤を持ち帰ろうとした人の報道は適切だったか

3月21日の読売テレビのニュース番組において、被災地で無人のスーパーから洗剤を持ち帰ろうとした人を報道したその伝え方には強い怒りを感じました。「無人のスーパーから商品を持ち去る心無い人がいる」というナレーションで映像は始まりました。そのスーパーの周りは瓦礫の山と化し、スーパーの中も津波が押し寄せた様子で棚は倒れ商品は泥水で汚れていました。照明も無く無人のスーパーの中にいる何人かを、話しかけることも無く近い距離からカメラで撮影していました。かごに商品を入れて持ち去ろうとしている1人の女性をカメラは追いました。カメラに気づいた女性は結局商品を入れたかごを地面に置き何も言わずその場を立ち去りました。取材する側も彼女に何も話しかけません。かごの中には洗剤などの日用生活品が入っていました。彼女を犯罪者、泥棒として描くその報道姿勢は適切でしょうか。そのスーパーの周りの瓦礫の山の映像を見れば、すさまじい津波がその町一体を襲ったことは容易に想像できます。財布を持ち出す暇も無く、体ひとつで逃げた人も当然いるでしょう。救援物資が十分にいきわたっていない事も毎日の報道で判っている事です。彼女が持ち出そうとした物は、おしゃれなヒールでも流行のバッグでもありません。彼女は非難されるべきでしょうか。家も何もかも無くしたかも知れない彼女に対して何の言葉もかけない取材クルーの報道姿勢、「犯罪現場を押さえる」という切り口での撮影の仕方、ナレーションの文言は適切でしょうか。この取材クルーやテレビ放映にGOサインを出した報道局の人間に私は強い憤りを感じます。彼女のした事は有事の際、断じて非難に値しません。今、外国ではこれだけの災害にみまわれながら被災地で略奪や暴動が起きていないことについて、賞賛の声があがっているそうです。しかし、その賞賛ににうかれて、ライフラインもいつ復旧するかわからない、救援物資も十分にいき渡っていない、瓦礫の山の中でどうにかこうにか生きている人々の困難を忘れてはいけません。私は読売テレビに強く抗議します。

2011年2月4日金曜日

投機マネー

 今、食料品が世界的に高騰している。その原因は新興国の食糧消費の拡大がひとつ。もうひとつが投機マネーが食料品の先物取引市場に流れ込んでいる事。この二つ目の理由を許していいものとは思えない。数年前、原油価格の上昇で多くの漁業、運送業、果ては銭湯まで、多くの人が失業した。マネーゲームをしている人たちが儲けようが損しようが、まあ、勝手にやってくれればよろしい。しかし、なぜ私たちゲームに参加していない者までがこのような甚大な損失を被らなければならないのか。著しく公平性に欠けている、法整備が遅れている、ということを世界中の議員連中は理解しているのだろうか。生活必需品に関しては投機の対象から外すべきです。何も私は共産主義者でもなんでもない。競争はあってしかるべきだし、優れた仕事をした人がそうでない人より多く稼ぐのは当然のことだし、そうあるべきだと考える。しかし、勘違いしてはいけないのは、巷よく言われる自由経済とは無制限に何をしても許されるというものではない。「独占禁止法」というよく知られたルールがあるように、それは一定のルールの下にある。もしそれがなければ、弱肉強食だけがルールという、なんでもありの、無法社会に逆戻りだ。「それはあんまり不公平だ。」と、人類は何千年もかけて少しづつ、ルールを、コンセンサスを積み上げてきた。しかし今、投機という分野に関して法整備が遅れている。大金を持つ者は権力も持つ。彼らは当然、法整備を邪魔をしてくる、大金を手に入れたいからだ。しかし、それを許してはいけない。法律を作る議員を私たちが選ぶ選挙というシステムを既に私たちは手に入れている。ばかげた状況に憤りを感じているのは私だけではないはずだ。